かつては、日本の朝の風景であった鰹節削り。
ガッガッと小刻みに鳴る音は、どの家庭からも聞こえる日常の音色でした。
時代の流れとともに、変化していく私たちの暮らし。
今の最適に合わせて変わっていくことは、必要な進歩です。
ただ、そのとき。
ふと足をとめて、たいせつなものを見失わない力が必要だと思うのです。
ほっとおいしいお味噌汁。
そのおいしさの向こうには、たくさんの命があります。
「命を感じる鰹節を、つくりたかったんです」。
そう話すのは、鰹節の産地・鹿児島県枕崎市にある
「金七商店」の瀬崎祐介さん。
鰹節の伝統製法を尊び、その製法を取り入れながら、
さらに独自のこだわりで究極の鰹節づくりに取り組まれています。
瀬崎さんのひたむきな姿、高い志。
私たち茅乃舎は、こころを揺さぶられました。
“命ある鰹節、命感じるだし”。想いはひとつになりました。
茅乃舎「金七鰹だし」の誕生です。
芸術品のような美しさ。
「男節は、どっしりと胸を張り、勇ましくかっこよく。
女節は、くびれを描いて、やさしく寄り添うように。
それが金七商店が理想とする鰹節の姿。ふたつが揃ったら、
お似合いの夫婦になるんです」と瀬崎さん。
優美な曲線や、落ち着きのある色合い。鰹節職人は完成品の美しさで、
その腕と品質を競う。驚くほど幾手もの工程は繊細な手しごとで、
まるで工芸品を作っていくようだ。
鰹節は、食品でありながら芸術品。日本の伝統芸といえるほど、
知恵と技術が集積している。
今回の取材を通して、瀬崎さんの鰹節づくりへの執念とも呼ぶべき
こだわりと、作り手としての生き様を見せていただいた。
鰹節界のエベレストを登る人。
こだわればこだわるほど、職人の道は険しい。
瀬崎さんは、鰹節界のエベレストを目指しているような人だ。
仕入れにも、製造にも、形にも、数ある工程のあらゆる箇所で、
細微に渡るこだわりがある。
「家業を継ぐからには、一番を目指したいと思ったんです。
本物を作るために、変えられるところは全部変えようと思いました。
まっすぐで、かっこいい鰹節をつくりたい。
そう思うと、魚を切る方法、煮る温度、燻す温度…
すべて鰹節第一でないといけない。
僕にとっては、どうせ削って形は見えないから…
本枯れ節の条件を満たしているから…という話ではないんです」。
希少となった一本釣りの鰹節。
“一本釣り”の魚は、価値が高い。
鰹の漁獲の手法には大きく2つあり、“一本釣り”と“巻き網漁”に分かれる。
一本釣りは、その名の通り、船から竿を吊り下げ漁師が
魚を一匹ずつ釣り上げる方法。大海原から引き上げられる鰹は、
魚体への傷みが少なく、程よい脂を備え良質である。
そのため“一本釣り”の鰹は、刺身で食べられることがほとんどで、
鰹節に使うのは大変めずらしい。
今回は贅沢にも茅乃舎の「金七鰹だし」は“一本釣りの鰹”にこだわった。
実は、瀬崎さんから何度も
「本当に一本釣りを使うのですか?」と尋ねられた。
生産者がその貴重さを一番よく知るところで、
それほど今は一本釣りの鰹を仕入れるのは難しい。
おいしさのために譲れなかったこだわりだ。
一刀に込める、職人魂。
両手で抱えるような大きな魚体が、最後には片手におさまる鰹節となっていく。切って、煮て、燻して、カビをつけ発酵して、天日干しをして。本枯れ節は数ヶ月から1年の時間と手間をかけて、うまみをぎゅっと凝縮していく。
一匹の鰹からできるのは、たった4本の節。そう考えれば、鰹節は本来、もっと価値を認められるべき食材だと気づく。
鰹節で最初に行うのは、魚の「生切り(裁断)」。作業板の上に載せられた丸々とした鰹は、無駄のない見事な手捌きで次々と捌かれていく。
魚を四本に切り分けなくても鰹節はできるのだが、敢えて瀬崎さんが生切りを行う理由は、身を切った時に赤身の色や脂のりを見極めることができるから。
鰹のうまみ成分を極力逃さずに仕上げられ、身を煮る時間が短くできるという利点もある。この時に本枯れ節にふさわしい良質な魚を厳選することで、鰹節の質が格段に上がっていく。
きれいに成形できるのも、利点のひとつ。魚の形を決める最後の一刀は、瀬崎さんと父親の2人だけしか許されない。
ここに、職人の技が冴える。
産地に受け継がれる、手しごと。
切った魚を煮た後は、骨を抜き、節にすり身を塗る。
これは、昔から産地で行われてきた伝統的な鰹節の製法である。
仕上がりの形を整えるための作業で、
この一工程を取り入れるかどうかは作り手の意志に委ねられる。
より美しさを極めるならば、わざわざその手間を選ぶ。
鰹節の姿自体を見ることが減った今、
この工程を行ってもその価値が分かりづらいと辞める人が多いそうだ。
すり身を塗った本枯れ節はわずか1.2%ほどと言われ、
これからますます減っていく。
瀬崎さんはこの製法を受け継ぎ、木べらを使い、ひとつずつ丁寧に成形する。
見えなくても、手を抜かない。瀬崎さんの気概が見えてくるようだ。
燻す姿は、祈り。燻製、香り高く。
薄暗い地下室で、炎が灯る。燻製の工程である。
ある画家は、瀬崎さんのその姿を“祈り”と讃えた。
小さな火は、少しずつ勢いをつけて燃え上がり、
部屋いっぱいに煙が立ちのぼる。
煙は、金網を通り抜けて階上の部屋へと駆け上がり、
やがて鰹節を覆い尽くす。
煙に包まれた鰹は、芳香な香りをその身にまとう。
削った時、だしを飲んだ時、鼻腔をかすめる豊かな香りは、
この燻製によって生み出されている。
低温でじっくり時間をかけて燻すのが瀬崎さん流。
丁寧に火入れすることで、魚の芯までじっくりと燻され、
鰹節はより香り高くなっていく。
高温で火入れする方がよっぽど効率がいいが、鰹節に寄り添うことが信念。
数日間火を焚き、1日休みを挟みながら、
鰹節に負担がかからないようにと心を配る。
燻製は繰り返し行い、実に約1ヶ月間もの時間をかける。
日本の技術。カビ付けと天日干し。
本枯れ節と荒節の違いは、カビ付けを行うかどうか。
カビ付けを施した鰹節は、透き通るようなクリアなだしができる。
味や香り、うまみも格別だ。
表面を削ぎ落とした節に、カビ菌をつけて、発酵をさせていくのが本枯れ節。
この工程でも、瀬崎さんは菌の成長を決して急がせずに、
20日間かけてゆっくりと、節の全身に菌をまとわせていく。
鰹節は脂が少ない魚がいいとよく言うが、
本枯れ節の場合は、鰹にも程よい脂が必要。
脂がない鰹節にカビをつけるのは、
乾いた土で野菜を育てているようなもので、
うまみを生み出すためには程よい脂のりが大切だ。
青緑色をしたさらさらと粉が舞うような菌が、鰹節にはふさわしい。
カビ付けの途中には天日干しを行いながら仕上げていく。
鰹節のカビ付けと発酵の技術は、日本が誇る素晴らしい技だと思う。
クラシックは、伝統と音楽。
瀬崎さんのユニークさは、鰹節(カビ)に音楽を聴かせることにもある。
カビ付けを終えた鰹節は、その後3ヶ月以上寝かせて熟成をしていく。
その間、心地よいクラシック音楽を流す。焼酎やパン、うどんのように、
発酵食品に音楽を聞かせるとおいしくなるなら、
菌を纏った鰹節も同じではないかというアイディアから取り入れた。
もうひとつ狙いは、
今のこどもたちが鰹節のことを知らないという食育の視点。
音楽の話題性で鰹節への注目が高まれば、
鰹節の情報をしっかりと伝えられる。
理解を広げることが、鰹節の未来を広げていくと信じている。
鰹節に、命が宿る。
ていねいに育てた鰹節の断面は、吸い込まれるような深いルビー色。
「息子が小さな頃、この断面を見て、
“鰹節は最後に魚に戻るんだね”と言ったんです。
半年をかけて、海にいた時の姿に戻る」。
命を感じられる鰹節を作りたいと願って選んだ、こだわりの鰹節の製法。
そのこだわりによって生み出される美しいルビーの色に、命が宿っている。
「大事な時にはいつも息子の言葉に救われます」。
挑戦の途中。本物を残していく。
“本枯れ節”と名付けられても、かける手間と品質は、
作り手によってさまざまである。瀬崎さんの妥協のないこだわりは、
時にはまわりから理解を得られないこともある。
「僕も今、挑戦の途中なので、何が正解かは分かりません。
自分がしていることは手間がかかっているし、
それによる経営的な課題もある。それでも、今が楽しい。
一番近くで見てくれている息子がかっこいいと言ってくれることが、
挑戦を続けられる理由です」。
“動”の力仕事も、“静”の感性も求められる鰹節職人は、
とても難しい仕事。なり手も減っている。
そんな中で、日本の食文化を次の時代へ残そうとする瀬崎さんの存在は、
とても尊い。
わたしたち日本人の宝である鰹節。
言葉に尽くせないほどの作り手への感謝とともに、
その最前線に立ち、もがきながら走る若き職人の挑戦に、
私たちは心からの敬意とエールを送りたい。
金七商店
鰹節の一大産地である、鹿児島県枕崎市にある鰹節屋。
1955年創業、瀬崎祐介さんは2004年に家業に入り、4代目になる。
音楽を聴かせた“クラシック節”が主力。鰹節類品評会で農林水産大臣賞を受賞。