みなさま、こんにちは。
今日はこれまであまり語られなかった茅乃舎の姿をお届けしようと思います。
ちょっと長くなるかもしれませんが、おつき合いくださいませ。
え、私ですか。袋小路留と申しますライターです。
このたび、ご縁をいただきまして、「茅乃舎」の物語を書かせていただくことになりました。
お話は、福岡市内から車を駆ること40分ほどの町、久山町猪野から始まります。このあたり、ホタルの名所として知られ、5月末から6月にかけて、ホタル鑑賞の人々が大勢やってきます。
今から数十年前、学生生活をのびのび謳歌していた河邉哲司もそんなひとりでした。彼こそがのちに、茅乃舎の生みの親、その母体である久原本家の当主となる人物なのですが、このときはまだ、海のものとも山のものともつかぬ、若さだけが取り柄のただの学生でした。
河邉はホタルを追いながら、せせらぎの向こうに見える崩れそうな古い建物に目が釘づけになります。何かわからないけど、ピンと来るものがあったのです。ここで何かしたらおもしろそうだ、と。でも、一瞬そう思っただけなので、すっかり記憶からなくなっていました。
河邉の父は、1893年(明治26年)創業の福岡の小さな醬油屋の三代目。四代目の河邉は「絶対継がん」と、小さいときから言い続けたといいます。しかし、大学を卒業すると父の説得で醬油屋に。当時は醬油は宅配が一般的で、前掛けをかけ、トラックで配達に明け暮れる日々。辛い日も多く、スーツにネクタイ姿で颯爽と仕事をする友人たちがうらやましくて仕方がなかった河邉でしたが、なぜか商売には関心があったのです。
母の実家は1717年(享保2年)から続く造り酒屋でした。ある日、その実家の茅葺き屋根をき替えるというので見に行ったところ、いたく感銘を受けます。こりゃ、すごい。しかも、葺き替えをしている職人は大分県日田の人。茅葺きができる人なんて、白川郷とか京都の美山とかにしかいないのかと思っていたら、腕ききの職人さんが九州にいるんだ。茅葺き屋根の料理店をしたら、喜んでいただけるんじゃなかろうか。むくむくとやりたい気持ちが湧いてきました。
ちょうどその頃、イタリアを旅する機会があった河邉は、イタリア留学中の知人やその友人たちに、長く続いてきた醤油屋として昔ながらの原料や製造法を大切にしていきたいと話すと、「それってスローフードじゃないの」と言われ、河邉の目からウロコがポロッと落ちます。スローフード運動とは簡単にいえば、「伝統的な食文化を見直し、食への関心を高める運動」。もっと簡単にいうと、消えゆく伝統食材、伝統料理を守ろうよ、ということです。
食材から作ったら、よりスローフード精神にもふさわしいと思った河邉は、帰国後すぐに、農業を専門とするスローフーズ課(現在の農業法人〈美田〉)を作ります。ただ、農業については経験者がいなかったので、地元の農家の方たちに手取り足取り教わりながら、畑で野菜を育て、その野菜を用いて、昔ながらの作り方で調味料や漬物を作るなど、さまざまな挑戦を始めます。
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