もうすぐ母の日ですね。
私たちは、ただこの日を「お母さんに贈りものをする」だけで終わらせず、一緒につくる時間、過ごす時間も楽しんで欲しい。と、心から願っています。
そう、母の日は「家族の思い出が生まれる日」でも、あるのです。
あなたと、家族の思い出。それはひとくくりにできることなど何ひとつなく、100人いれば100通りの、多様でリアルなストーリーがあるはずです。
そんなひとつひとつに、耳を傾けてみたい。そう思った私たちは、久原本家で働く社員に「お母さんとの食の思い出を教えてください」というアンケートをとりました。
そこから出てきた心温まるエピソードをよりぬいて、ご覧に入れましょう。
大人になって気づく母の味、
そのありがたみと尊さ。
「はじめての一人暮らし。社会の厳しさと親元を離れた寂しさで押しつぶされそうになっていた時、母からの宅配便が届きました。
『がんばれ!』とだけ書かれた手紙、仕送り、そしてたくさんのタッパーに詰められたおかず。一番好きだった手羽元の煮込みには、不器用な字で書かれたレシピがついていました。電子レンジで温めて泣きながら食べた煮込みの味は、今でも忘れられません」
30代 女性
母の味を受け継ぐ、
思いごと受け継ぐ。
「中学から社会人3年目まで、ずーっとつくり続けてくれた母のお弁当。中学の時は反抗期も重なり、話すことも減りましたが、お弁当を食べると心が落ち着き、心の中では感謝していました。一番好きなのは、卵焼き。いつもいい塩梅で、何度か直接教わろうとしましたが、調味料は「チョロっと」と言って計らないので、教わることを諦めました。「適当よ!」。家庭料理ってそういうものなのかも。おかげさまで、ええ加減が料理を楽しむ上で大事なのかなと思うようになりました。
今は私が引き継いで、一人暮らしでも、自分のために弁当をつくり続けています。「頑張ってるよ」の合図で、写真に撮って、母へ勝手に送りつけています」
30代 女性
実家が飲食店ということもあり、いつも食べ物に囲まれて育ってきました。毎日美味しい料理をつくってくれて、必然的に私は料理好きになりました。いつも父が「ママの料理が一番だよね~!」って言うのを、娘ながらにすごいな~と見ていて、私がいつかお嫁さんになったら旦那さんにそう言ってもらえる人になろう!と思っていました。今、私の料理を夫がどう思って食べているかは未確認ですが、食は家族を幸せにすることは明らかで、我が家は母の料理を囲んでいつも平和でした。いつか子どもに母(私)との食の思い出を言ってもらうことが夢です。
40代 女性
小学校低学年の頃から、食卓に並んだもので「これ好き」と母に言うと、次の時は一緒につくる、という流れが出来ていました。最初に習ったのはマカロニサラダで、次は酢の物。なぜかキュウリが好きだったようで、キュウリで包丁の使い方を教えてもらいました。お陰で、周りの子よりも一足先に包丁を使えるようになったと思います。
40代 女性
「小学生の時に、お母さんが長期入院することになりました。お母さんの料理で一番好きだったお揚げの「炊いたん」を自分でつくってみましたが、なかなかお母さんの味にはならなくて、何度も挑戦しました。やっと退院した時、一番最初につくってもらったのは、もちろんお揚げの炊いたんです。その時の味が今でも忘られず、今でも帰省した時はごちそうよりも、この料理をねだっています」
30代 女性
今だからこそ言える、
私の本音、母の本音。
「私が幼少期、専業主婦だった母はいつも手づくりおやつを用意してくれていて、学校から帰るとそれを食べるのを毎日楽しみにしていました。1番のお気に入りが、自然な甘みがある人参ドーナッツ。『おいしい!』と言うと、毎日のように出ていたので途中飽きてきていたのですが、なかなか『もういいよ……』のひと言が言い出せなかったのを思い出します」
40代 女性
「私の両親は共働きで、父も母もいつも帰りが遅く、保育園はいつも居残り保育組でした。走ってお迎えに来る母の、平日スピードメニューは「10分でつくる皿うどん」。野菜を切る姿も、炒める姿も、大皿に盛り付ける姿も、幼い私にとってはスーパーマンのように手際が良い、自慢のかっこいい母でした。
大人になって、思い出のように皿うどんの話をすると、「お弁当やお惣菜だとちょっと罪悪感があったし、当時は冷凍食品もそんなに美味しくなかった。せめて野菜はたっぷり食べられるようにとつくっていたけど、本当はちょっと申し訳ない気持ちもあったなあ」と、母はしみじみ話していました。
そんな私は、ちゃんぽんよりも皿うどんが好きな娘に育ち、平日スピードメニューはやっぱり「皿うどん」。まだまだ手際は悪いけど、お母さんの姿を思い出しながらテキパキつくっています」
20代 女性
「料理上手なお母さん」
だけじゃない、それでも。
私の母は、正直、あまり料理が上手ではありません。が、一度だけ、びっくりするほどおいしいものをつくってくれたことがありました。鯖の押し寿司です。私が小学校低学年で、何かのお祝いの時だったと思います。「またつくって」とねだったのですが、二度と出てこなかった幻の味です(きっと大変だったのでしょう……)。
40代 女性
「母の料理で一番好きだったのは、麻婆豆腐です。料理が決して得意ではない母が、スーパーに行けば簡単に手に入る麻婆豆腐の素を使わず、ねぎを焼いて香りをつけたフライパンで1からつくってくれていました。とても時間がかかる分、本格的な味がして大好きでした。
でも私は、このことを母に伝えたことがありません。「好き」と言うと、また作らないといけなくなるからと、子ども心ながら、時間や手間がかかることを心配して伝えられなかったのです。でも結婚して思うのは、どんなに手間がかかって大変でも、やっぱり『おいしい』とその時に言ってもらうことがなによりも嬉しいということ。もう随分と遅くなってしまいましたが、今度母に伝えてみようと思います」
20代 女性
「母は60歳から台所に立つようになりました。私が幼い頃は朝早くから夜遅くまで仕事をしていたため、私は祖母の味で育ちました。祖母が亡くなってからは私が料理を作るようになりました。
そんな母が、私たちが独立した今、やっと料理の勉強を始めました。
母は、当時育ち盛りだった私たちに料理をしてあげられなかった後ろめたさを今も抱えていて、実家に帰ると読本頼りにつくった料理をふるまってくれます。
今年のお正月は、初めて母のお雑煮を食べました。台所はぐちゃぐちゃでしたが、不慣れながら一生懸命つくったお雑煮に感動しました。吸い口に柚子の千切りを用意していたので、私が松葉柚子を教えてあげました。またワンランクアップしたと思います!」
30代 女性
家族と地域の習わし、
文化をつなぐこと。
「我が家(父の実家)では、正月のお雑煮(京都なので白みそ)に里芋を入れるのですが、男性は『かしらになれるように』と大きな『かしら芋』を入れて食べます。いつの頃だったか正確には思い出せませんが、小学校高学年位になったときに初めて、母から『あんたも今年からは食べんとね』と、このかしら芋が入ったお雑煮を手渡されたときに、一人の男性として認めてもらえた、と嬉しくなったことを覚えています」
30代 男性
「私の地元では、有明海の新鮮な生の『あおさ』が獲れ、水と一緒にビニールに入って販売してあります。袋を破ってざるで水を切り、お湯をかけ、搾った橙と醤油をかけたものが大好きで、旬の時期になると毎日のように母が買ってきてくれました。今でも実家に帰ると出してもらいますし、コロナ禍で帰れないときはわざわざクール便で送ってくれました。
実家を出て、地元で過ごした時よりも長くなりましたが、あの頃のことはつい最近の出来事のように、きらきらとした思い出として記憶に残っています」
30代 男性
「年の暮れになると、母はお節作りを声に出しながらやります。『紅白なますは大根を多めに!』『黒豆は鉄釘を入れてツヤツヤに!』などなど。。学生時代、部活で帰りが遅く、習うどころか手伝いもままならなかったのですが、耳がしっかり覚えていて、最近では同じように声に出しながらお節を用意する私がいます」
40代 女性
母から子ども、
その子どもへ。
「小さいころからオムライスが好きで、母によくつくってもらっていました。
中1のころ病気で入院した時『病院食がおいしくない』と言う僕に、看護師で忙しいなか、母はオムライスをタッパーにつめ、週に1〜2回持ってきてくれました。冷めててもおいしく、すごく思い出に残っています。
そこから一人暮らしをはじめ、いっぱい失敗もしましたが、自分でも作れるようになり、今では子どもにも食べてもらってます」
30代 男性
「仕事の事情で9歳と6歳の子どもたちと3か月間離れて暮らしたことがあります。その間、子どもたちは私の実家で父と母と暮らしました。
外国で生まれ育った子どもたちにとって、初めての日本での生活。言葉の壁、文化の壁、さまざまな困難があったと思いますが、国際電話をかけると「おばあちゃんのごはんがとーっても美味いしいんだよー!」と、いつも明るく楽しそうな声。「おばあちゃんの料理で何が好き?」「なんか細いベジがいっぱい入ってるやつ!」「あー、きんぴらね!ママも一番好き!」と、おばあちゃんの料理トークで大盛り上がり。不安で寂しい気持ちを、母の料理が癒してくれていると思い、感謝でいっぱいでした。
44歳と19歳と16歳になった今も、母のつくるきんぴらが大好きな私たち。帰省するたびにリクエストします」
40代 女性
あなたにも、きっとあるでしょう。もしよければ、お母さんとの食の思い出を聞かせてくださいませんか?
またこれを読んで「今年の母の日は、家族との思い出をつくりたい」と思ってくださったあなたの、お手伝いをしたくて。
茅乃舎では、そんな温かな心に寄り添ったギフトの数々をご用意しています。こちらも、ぜひご覧ください。
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「新しいレシピに挑戦するのが好きな母。家族で食の好みが違うので、いろいろなメニューが食卓に上がりました。
よく熟れた柔らかい柿で作る、柿ようかんは弟の好物。
甘みの強いスイートコーンを使ったシェパーズパイは、父の好物。
卵黄を入れないエンゼルシフォンケーキは母の好物。
焼きたてのふわふわなスフレチーズケーキは私の好物。
実家を出てから、自分でつくる料理は同じものばかりになり、母のようになるのは難しいものなのだと感じました。今度は甘酒を作ろうとしていた母を見習って、レパートリーを増やしていくのが今年の目標です」
30代 女性